子育てよもやま話

子育て中の私が考えたことをただつらつらと書き連ねています。

一年生をいつまで送り迎えするか問題

一年生になったばかりの息子。

1ヶ月経ったのに、まだ送り迎えをしている。

 

一年生、とひとまとめに言っても

その学年ごとにカラーがある気がしている。

 

今年四年生の娘の学年が一年生の時は、送り迎えしている親御さんがもっと多かった。5月の連休が過ぎても親御さんたちが大きい通りまで迎えに来ていた。朝も大きい通りまで送って来ていた。

 

お母さんたちのカラフルな傘を覚えている。私はビニール傘だったので、まともな傘を新調した。個性のある傘は子供の目にもわかりやすいメリットがある。だから六月までは送り迎えしていたと思う。娘のクラスには数人、教室で1日が終わるのを待っている保護者の方もいたくらいだ。コロナもあって不安がたくさんあったんだと思う。

 

かくいう娘のことは、一月まで送っていた。雨の日も風の日も、炎天下も寒い日も。歩いて、自転車に下の息子を乗せて、ベビーカーで、車で。

そんな毎日の中、どんどん送る保護者が減っていく、私は少し焦りを覚えた。このままこの子は小学生の間ずっと送るのか、だんだん面倒になって来たし、この朝の時間を使うとどうしても下の息子の幼稚園への登園時間が遅くなってしまう。

 

私は信頼している幼稚園の先生に、相談した。そういう時もあるよね、何か心にあるんだろうね、お母さん、娘さんが納得するまで付き合ってあげられませんか?とお答えいただいた。その先生のお子さんも朝行きたくないと、何ヶ月も言っていて、給食に見たことないものが出るのが怖くて行けなかったそう。

 

毎日送っていると、門の前や昇降口で、行きたくない!行きなさい!お母さんこれから仕事!嫌だ今日は帰る!無理!今日はここまで!という攻防を何度も見てきた。その家庭のやり方があると思う。少し突き放して、自分でできたことに自信を持たせるのもいいかもしれない。

 

だけど私は朝にお母さんに突き放されたら、1日朗らかな気持ちでは過ごせないと思った。

そこで覚悟を決めた。娘がもういいというまで送ろうと。

 

そしてその日は一月のある日だった。年をまたいだ。

 

しかし息子の学年は入学式から2日も経つとほとんど送り迎えをする保護者を見かけなくなった。

年をまたぐ覚悟をしている私にとっては、ずいぶんしっかりした学年だなあという印象。そして息子は毎日当然のように私と手を繋いで学校へ向かう。教室の前に着くと、覚悟を決めたように入っていく。寂しさや心細さ、不安を一緒に歩く間に自分の心に整理をつけているのかもしれない。帰りはどこまで迎えにきて欲しいか教えてもらい、そこまで迎えにいく。

 

最初はランドセルが重くて前屈みになっていた息子も今はランドセルも慣れ、水筒もかけて、私と手を繋いで歩く。まだまだ小さいけど、一年生にしては大きい手。息子には息子の世界が広がりつつある。朝は特に何か話をするでもなく、給食なんだろうね、図工で何作るかな、そんな話をしながら歩く。私は知っている。

この時間が長くは続かないこと。

必ず近い未来に、もう来んでいーけ、と言われる日が来る。その日まで、私は送り迎えし続けようと思う。だからこの時間、朝ごはんの前に朝日を浴びることができ、30分のウォーキングができること、小学生たちの元気な声を聞く、校門で先生の明るい挨拶をもらう、帰りは同じクラスの子たちとわいわいその日にあったことを口々に教えてもらい、笑いながら帰る、その毎日を過ごせていること、息子に感謝している。