夏休みの宿題って、私たち親の宿題ですよね問題
子供たちは待ちに待った夏休み。
母親である私にとっては一年で一番恐れている夏休み。
わが家はお盆の前に私の実家に帰省するため、お盆休みから夏休みの宿題の追い込みが始まる。
夏休みのドリルや、毎日の音読などは問題なく続けているけれど、自由研究や、絵、読書感想文など何日か時間をかけて取り組む課題が多すぎる。
先生たちもお分かりだろう。分かっていて出されてるんだろう。
こういう課題に子供だけで取り組むのは限界があるし、費用がかかるものや普段やっていないのだから自由研究のまとめ方だったり、読書感想文は年に一度しか書かないのだからできるはずがないということ。
毎年この課題に取り組む時期になると感じるのは、夏休みの宿題って親の宿題だよねってこと。
自由研究を始めようと思って、私は観察系が好きだったので、同じことを3週間ほど観察して違いをまとめるものを提案してみると、娘は嫌だという。これは?これは?こんなものは?提案をするのは私。なんだか私が宿題をしている気持ちになってくる。同じ小学校に居る息子。同じ実験はできないことになっている。同じ実験なら、片方の名前でしか出せないという縛り。ということはそれぞれにやらないといけないよね?
私は何個宿題をするんだろう、完全に親が試されてる。
読書感想文も同じ。この本にする?これは?これは?やっと双方納得で読書感想文を書こうとなる。いろいろ質問して書き留めとにかくそれをいい感じにまとめるものの、1200字の壁。3枚は多すぎるだろう。
普段作文やら日記を書き慣れていない者に対して重すぎる課題。そうは言っても娘も私も割と作文には抵抗がないので何回か書き直してなんとか1200字近くまで埋めた。まだ清書はしていない。作文だけで3日。
絵もポスターにした、息子は空想の絵。
下書きだけは帰省先で絵の得意な私の妹と考えてもらった。。。大きい画用紙に絵を描く習慣がない子供たちは大きな画用紙にものすごく小さな絵を描く。ポスターだったら見えないレベル。そんなのを大きくするよう教えてもらいながらやっと下書きしたものの、色をつける前にお盆休みに突入。
何も手につけられないお盆休みが本当にハラハラする。わたしだけハラハラしてる。
あと10日もない休みで自由研究のまとめと作文、絵、が二人分。仕上げられるのか気が気じゃないのはわたしだけ。本人たちは時間や曜日の間隔も薄れて、計画的なんかするはずもなく。
明日からは夫も会社が始まり私主導で時間が回せる安堵感。また今日も炎天下、県をまたいで大きな公園へ行く。熱中症対策も親が大変だよね。
小学生のお母さん、宿題お疲れ様です。
むやみに児童に声をかけることが不審者になりかねない問題
不審者情報。
最近は学校から不審者の情報が共有される。
メールや、プリントだったこともある。また近隣の学校児童が不審者に出会った情報も共有される。
以前、不審な男から朝に挨拶され、返事をしなかったら執拗に挨拶を迫られたというような内容が送られてきた。
それは朝から怖い思いをしたよね、と思いながらその特徴なんかを子供達と共有して過ごしていた。
ある朝、一年生が道端で泣いていた。
私は気になった。
息子は早く学校に行こうという、200m位過ぎたところだろうか。
やっぱりママ、あの子がなんか困ってるかもしれないから助けてくる!聞いてくる!と言って戻った。息子はじゃあ先行くよと。
戻りながらふと不審者のことが頭をよぎる。
息子がいない状態で話しかけることが不審者に思われるじゃないかと。息子が一緒にいるからこそ、誰かの母さんであるとちょっと安心するだろうところを1人で大人が声をかけたら怖い思いをするのではないか。
少し考えて、でも戻ってみたら、その子は友達と泣き止んで歩いていたのだが。
ここでちょっと考えてしまった。
車に乗ってるとき、こっちは知ってるから車内から手を振ったこともある。これってもしかして、相手はよく見えなかったり、急いでるときだったら不審なんじゃないか。
特にこのご時世、マスクで過ごすのが普通になってきているから、よくある不審者の格好、マスクをつけてメガネ、帽子を深く被って、が私の普段の基本装備となっているわけで、世の中的にも朝のノーメイクの時なんかはそうかも、と思ってしまった。
それにしても、子供に安易に声もかけられない、ちょっと寂しい世の中になっちゃってるな、と思いつつ、でも我が子がそんな目にあったら恐ろしいという気持ちと、せめて不審な感じにならないように目だけはメイクと、マスクもちょこっとオシャレな色のものを使おうかな、洋服も少しカラーを取り入れて、と思った。
ゲーム機いつ与えるのか問題
Nintendo Switch。大人も楽しめるゲーム機。
かくいう私も、コロナの自粛期間に欲しくなり、購入できない一年待ち続け手に入れた。
最初はあつ森。
夫には大反対されていた。
ゲーム機を、家に置くと勉強しなくなる!と。
それは彼の場合であって、私は私がゲーム大好きなので反対を無視して迎えた。
最初は隠していた、昼間誰もいない時に開いて釣りをしたり虫を追いかける癒しの時間。
ところが、夕方、夜と出てくる魚も虫も違う、住民の話も変わってくるし、まあ釣りだけならいいよねって感じで私は出した。
さらにリングフィットをすることで運動不足解消、ガッキーがCMやってんだよなんて言って導入。
子供達も少しずつやるようになったが、あくまで本体は私のものなので外には持ち出さなかった。
ところが。
長男年長になるとポケモンのスカバイと言うとんでもなく面白いソフトが出てしまった。
これまた私がコロナにかかり、1人隔離されているが濃厚接触の家族も家を出られないと言う時に大活躍した。
私はコロナに罹っているので子供たちとはiPadを使って遠隔で話をしていたが、学校も行かずに時間を持て余している。夫も会社を休んでいるのでiPadや携帯ゲームをしているのが気になった。
それならいっそ、テレビに繋いで大画面でやった方が目にはマシなんじゃないかと。
それでバイオレットを買ってみたら
これがもう面白いななんの。大人の私でも御三家から1匹選ぶのに悩み、キャラメイクで悩み、ストーリー無視してみんなで毎日ポケモンゲットに勤しんでいた。
そんな時、問題発生した。
子供2人と私3人で30分交代を1日2回。
でも、他の人がやっている時は後の2人は見ている。と言うことは1人1時間の待ち時間でもゲームは3時間やってることにはなるまいか?
さらに、他の人がポケモンを追いかけ回していると、やらそっちじゃないポケモンをゲットしろだとか、なんでそんなボール出すんだとか、つける名前で喧嘩、さらに勝手にストーリーを進められてなんだか面白くなかったのが私である。
この問題解消には、とにかく三年生の娘には一台、年長の息子には新たにスカーレットを私のスイッチに入れることで落ち着いたかのように見えた。
ゲームの時間になると一斉にスイッチを持って30分ポケモンを追い回す。
一見うまく行っているかと思いきや、今度は息子が私のSwitchを使っている間、私が使えないという問題が出た。
子供達ががっちりゲームの時間を確保している間進められない私はどんどんネタバレをされ、なんだか面白く無くなってきた。
私はゲームがとっても好きなので。
卒園祝いという名目で、息子に一台Switchを購入した、ということに落ち着いた。
ホッ。今はずーっと楽しみにしていたゼルダの伝説を、私は毎日の楽しみにし、子供たちはポケモンとスプラを楽しみに、それぞれがやりたいものをするように、有効に時間が使えるようになりゲームの時間がとても平和。
一年生をいつまで送り迎えするか問題
一年生になったばかりの息子。
1ヶ月経ったのに、まだ送り迎えをしている。
一年生、とひとまとめに言っても
その学年ごとにカラーがある気がしている。
今年四年生の娘の学年が一年生の時は、送り迎えしている親御さんがもっと多かった。5月の連休が過ぎても親御さんたちが大きい通りまで迎えに来ていた。朝も大きい通りまで送って来ていた。
お母さんたちのカラフルな傘を覚えている。私はビニール傘だったので、まともな傘を新調した。個性のある傘は子供の目にもわかりやすいメリットがある。だから六月までは送り迎えしていたと思う。娘のクラスには数人、教室で1日が終わるのを待っている保護者の方もいたくらいだ。コロナもあって不安がたくさんあったんだと思う。
かくいう娘のことは、一月まで送っていた。雨の日も風の日も、炎天下も寒い日も。歩いて、自転車に下の息子を乗せて、ベビーカーで、車で。
そんな毎日の中、どんどん送る保護者が減っていく、私は少し焦りを覚えた。このままこの子は小学生の間ずっと送るのか、だんだん面倒になって来たし、この朝の時間を使うとどうしても下の息子の幼稚園への登園時間が遅くなってしまう。
私は信頼している幼稚園の先生に、相談した。そういう時もあるよね、何か心にあるんだろうね、お母さん、娘さんが納得するまで付き合ってあげられませんか?とお答えいただいた。その先生のお子さんも朝行きたくないと、何ヶ月も言っていて、給食に見たことないものが出るのが怖くて行けなかったそう。
毎日送っていると、門の前や昇降口で、行きたくない!行きなさい!お母さんこれから仕事!嫌だ今日は帰る!無理!今日はここまで!という攻防を何度も見てきた。その家庭のやり方があると思う。少し突き放して、自分でできたことに自信を持たせるのもいいかもしれない。
だけど私は朝にお母さんに突き放されたら、1日朗らかな気持ちでは過ごせないと思った。
そこで覚悟を決めた。娘がもういいというまで送ろうと。
そしてその日は一月のある日だった。年をまたいだ。
しかし息子の学年は入学式から2日も経つとほとんど送り迎えをする保護者を見かけなくなった。
年をまたぐ覚悟をしている私にとっては、ずいぶんしっかりした学年だなあという印象。そして息子は毎日当然のように私と手を繋いで学校へ向かう。教室の前に着くと、覚悟を決めたように入っていく。寂しさや心細さ、不安を一緒に歩く間に自分の心に整理をつけているのかもしれない。帰りはどこまで迎えにきて欲しいか教えてもらい、そこまで迎えにいく。
最初はランドセルが重くて前屈みになっていた息子も今はランドセルも慣れ、水筒もかけて、私と手を繋いで歩く。まだまだ小さいけど、一年生にしては大きい手。息子には息子の世界が広がりつつある。朝は特に何か話をするでもなく、給食なんだろうね、図工で何作るかな、そんな話をしながら歩く。私は知っている。
この時間が長くは続かないこと。
必ず近い未来に、もう来んでいーけ、と言われる日が来る。その日まで、私は送り迎えし続けようと思う。だからこの時間、朝ごはんの前に朝日を浴びることができ、30分のウォーキングができること、小学生たちの元気な声を聞く、校門で先生の明るい挨拶をもらう、帰りは同じクラスの子たちとわいわいその日にあったことを口々に教えてもらい、笑いながら帰る、その毎日を過ごせていること、息子に感謝している。
はじめまして
4月になりました。
いや、もう5月。私は4月になったら子育てについての自分の悩みとか、考えたことをちょっと書いてみようとずっと思っていました。
理由は
下の子がこの春から小学生になったこと。
これがとても大きい。
幼稚園の時は送り迎えとお弁当、毎日くるまでを出して、短い保育時間に何ができるか、それに毎日格闘していました。
それが終わる、ついに終わる!
4月になると例年必ず何か新しいことをしたくなる私でしたので、新しく何か書いてみようと思っていましたが、なかなかできなかったのです。
息子がなかなか小学校に慣れない間、私も生活リズムがつかめず。
それでも毎日ちょっとずつ、モヤっとしたり、ハッとしたり、オロオロ、グルグル、イライラ、そんな日常感じたことを私の独断で書いていきたいと思います。